「センス」は量である

こんにちは。
高校生コース講師の小谷野です。

今回は、前回の補足を少し話そうかなと思います。
前回は、「継続が何よりも大事!」という話でした。
その付け加えで、センスとは何かという話です。

センスとは何でしょう?
「あの人は数学のセンスがある」
「あの子はバスケのセンスがある」
「自分は人の心のを読むセンスがある」
なんて言いますよね。

センスというと何となく天性の才能という意味合いを帯びている気がします。
しかし、そうではないと思います。
結論はタイトルの通りです。

「センス」とは「量」です。

数学のセンスがあるあの人も、バスケのセンスがあるあの子も、人の心を読むセンスがある自分も、その物事に費やした量によって、センスを獲得しているのです。
「いや、数学が得意な人なんて初めから得意じゃん」
なんて思ったかもしれません。
でも、それは違います。
そういう人は、普段から、努力とも思わず、数学に時間を費やしているのです。
それも普通の人と比べものにならない量であることもしばしば。
時間を費やしたものには、必ずセンスが生まれます。

センスというのは相対的なものです。
他人と比べて、そのものへの感覚が鋭ければ、センスがあるという認識になります。
「数学の問題を、見た瞬間に解法が思い浮かぶ」
「バスケで、相手のマークをうまく外してシュートを打てる」
「相手の表情や仕草で、瞬時に相手の思惑を見抜ける」
誰かと比べて能力が高いとセンスがあると思われるのです。

要するに、センスを磨くためには、相対的に多くの時間を費やす必要があります。
息を吐くように計算をした、なんて評される数学者もいますが、そんな感じなんだと思います。
24時間365日、その物事に触れる。
もしくは、頭の中でその物事について考えている。
そうすることで、圧倒的な時間量になります。
そこにセンスが生まれるのです。

だから、「自分にはセンスがない」なんて言い訳をしている間に、もっと量を費やしてください。
量を費やした先に、初めてセンスが磨かれていくのです。

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