Good morningは「おはよう」?!

こんにちは。
高校生コース講師の小谷野です。

当塾がある上伊那郡では、先週が中学校の卒業式でした。
新しい門出にソワソワ、ドキドキ、ワクワクしているころかなと思います。
小学校から中学校はほとんどが持ち上がりで進学する地域柄、高校進学は環境が変わる転機になります。
電車で通学したり、給食がなかったり、新しいことが多いかなと。
自分自身は中高一貫校だったので、中3⇒高1の変化はまったくありませんでした。
単純に学年が上がっただけで、同級生の顔ぶれも変わらないので、中学卒業の印象は皆無です…。

高校進学という転機は、気持ちを入れ替える好機でもあります。
中学の頃は勉強をサボっていたけどここから頑張るぞ!
反抗期を終えて親孝行をしよう!
新しい部活に入って心機一転だ!
などなど、一歩踏み出す良い機会にしてもらえれば幸いかなと思います。

1点だけ忠告があるとすれば、「3年間はあっという間」ということでしょうか。
それだけは肝に銘じておくとよいでしょう。

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Good morningは「おはよう」?!

さて今日の本題は、言葉の話。
Good morningは「おはよう」なのか、というところを掘り下げてみましょう。

Good morningはどういう意味?

日本全国の皆さんが知っている英語のフレーズの一つと言えば、Good morningでしょう。
英語を始めたての頃に挨拶を習い、おはようはGood morningと言います、なんて覚えると思います。
でも、果たしてそうでしょうか。
そこに疑問を持ってほしいのです。
その先に、「どうして英語を学ぶのか」の本質が眠っていると思うのです。

そもそも、おはようとは何なのか?
もちろん朝の挨拶ですね。
そんなの誰でも知ってるよ、って感じですね。
でもその語源はなんでしょうか?
もちろん儀礼的な表現なので、語源はどうでもいいかもしれません。
自分も詳しくは知らないので、その辺りは省略しますね。
気になる人は調べてみてください。

ただ、わかることは、「おはよう」は「早いですね」って言ってるということです。
(遅く来た人に「おそよう」なんて皮肉を言ったりしますよね。)
単純に、早くから来ていますね、とか、早くからお目覚めですね、くらいの意味に思います。
早いという状況を説明する挨拶ということです。

それに対して、Good morningはどうでしょか?
こちらは、直訳すれば「良い朝」という意味ですね。
こちらはもともと、I wish you a good morning.という表現からきているそうです。
こちらを参照)
英語圏はキリスト教的な世界観です。
一人の神がいて、その神が世界を創造し、我々を生んだという発想ですね。
なので、あなたにいい朝が訪れますように、神があなたにいい朝を与えますように、という祈りを捧げるフレーズが挨拶として定着したそうです。

ここまで考えると、、、
早いですねという状況を示す「おはよう」と、相手への祈りを表すGood morningはニュアンスが少し異なるとことがわかりますね。

私は自分で生まれた?!

もう一つ例を挙げます。
「私は東京で生まれました」
これを英語にしてください。
もちろん、I am from Tokyo.でも同じ意味だと思いますが、ここでは別の表現を示したいです。
それは、
I was born in Tokyo.
です。

bearは他動詞で「~を産む」という他動詞です。
bornはbearの過去分詞形です。
そして、be動詞+過去分詞形なので、「受け身」を表します。
つまり、I was born in Tokyo.は「私は東京で産み落とされました。」という意味ですね。
ちょっと日本語としてはおかしいですが。
ここでも先ほどと同じです。
英語は神主体の世界観です。なので、人間はこの世界に産んでいただいたという考え方なのです。
自分は産み落とされたんです。
だから、受け身の表現なのだと思います。
(違っていたらすいません)

それに対して日本語は、自分が主語ですね。
「自分が」東京に生まれたのです。
神が産んだのではなく、自分で生まれたのです。
こう考えると、日本語は自分中心の世界観のように思えますね。
万物を神と考える割には、それらを崇拝する自分の主体性はしっかり自覚しているようです。

ところで、英語には受け身の表現が多いなとは感じますね。
例えば、感情を表す表現は受け身が多いです。
I am interested in literature.
I was surprised at his success.
I am ashamed of my son’s behavior.
などなど。
日本語ならすべて能動態で表すところです。
私は文学に興味があります。
私は彼の成功に驚きました。
私は息子の行動を恥ずかしく思います。

日本語は、主語を省略するかわりに能動的な文章が多いなと感じます。

「言葉」という眼鏡をかける

ここまで見てきたように、日本語と英語とでは同じようなことを言おうとしても表現が異なりますね。
それはつまるところ、言葉によって見える世界が変わるのだと思います。

例はたくさんありますね。
日本人は虹は7色だと思っていますが、国によっては6色だったりもします。終いには2色なんてところもあるらしいです。
それは色に付ける言葉によっているのだと思います。
日本語にはたまたま、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫という言葉があるから、7色に見えるのだと思います。
正確に言えば、7色だと思い込まされているのです。
(自分は目が悪いのか、虹は5色にしか見えません…)

言葉とは、人が世界を見るための眼鏡です。
もっと正確に言えば、世界をよく見えるようにするために、みんなが自作の眼鏡を作っていく過程。それこそが言葉だと思います。
混沌とした世界に秩序を持たせるために、人間は言葉で世界を分けます。
現代文風に言うと、「分節」します。
分けることで、分かるようになるのです。
この辺の詳しい話は、また別のブログで話しますね。
現代文でも頻出のテーマですし、言葉を使うことでしか生きられない我々にとっては非常に重要なテーマです。

こんな風に、日本語と英語の違いに注目して勉強するのも面白いかと思います。
別に「使える」英語なんて身につけなくても大丈夫です。
受験英語である程度の基礎英語力をつけた人であれば、後は環境の問題です。
英語を話さないといけない環境に身を置けば話せるようになります。
(もちろんこれは、基礎英語力が前提の話ですよ!)

義務教育で外国語を学ぶ意義があるとすれば、それは日本語を相対化する機会になるということです。
日本語に毒されている状態から離陸することができるのです。
日本語に毒されているというと聞こえが悪いですが、決して悪いことではないです。
でも、上空に飛び立って遠くから日本語を眺めるのも面白いじゃんっていう話です。
それを可能にするのが外国語学習です。
または、古文や漢文の学習です。
自分が話している日本語が唯一の言語ではないし、唯一の世界観ではないということを知る機会になると思います。

そんな感じで、無理に英語を「使う」ことだけにとらわれずに、視野を広げるための学習だと思ってください。
あれ、この表現は英語と日本語で違うな。とか
この日本語の表現は英語にうまく訳せないな。とか
そんな風に思うと、英語なんて将来使わないから学んでも意味なんじゃんか、なんて思わなくて済みます。

おすすめ映画-『メッセージ』

ここからは、余談です。

言語と世界観の話で思い出す映画と言えば、2017年公開の『メッセージ』(原題”Arrival”)です。
突如現れた謎の物体。その中にいる未知の生物とコミュニケーションをとらなければならず、言語学者と物理学者がタッグを組んで挑むというストーリーです。
正直、娯楽映画としては少し退屈かもしれないです。あまり展開が劇的ではないので。
しかし、言語というものへの思考を深める映画としてはおすすめです。
映画の中でも、”The language you speak determines how you think.”というセリフがあります。
(少し単語が違うかもしれないですがご容赦ください)
「どんな言語を話すかがどんな思考をするかを決めている」ということです。
このセリフに映画の要点は集約されています。
そして、それを「時間」という物理現象と絡めた点が非常に面白いです。

あまり話すとネタバレになってしまうのでこの辺にしておきますが、言語とは何か、時間とは何か、ということを日ごろから疑問に思っている人は、興味深く見られる作品だと思います。

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