こんにちは。
高校生コース講師の小谷野です。
突然ですが今日は、古文なんて勉強して意味あんのか?!
っていう話をしようかなと思います。
僕は別に古文の先生じゃないので、好きなら学べばいいし、嫌いなら学ばななきゃいいっていうスタンスです。
全ての科目ともそう思っています。
でも、「古文も面白いよ」ってことだけは、お伝えしたいのです。
古文の授業と言えば、「る、らる、す、さす…」とか助動詞を覚えさせられたなとか、よくわからん和歌を読まされたなとかいうイメージだと思います。
でも、大事なのはそんなこざかしい文法ではないです。
僕も細かい文法はよく知りません。
そうではなく、内容を楽しみましょう。
内容は面白いです。
特におすすめが『徒然草』!
名前くらいは聞いたことがあるでしょうか?
書かれたのは1330年ころです。
鎌倉の末期、まさに室町時代の始まりです。
社会的には幕府体制の不安定さが極まっていた時代だと思います。
作者は兼好法師。僧侶ですね。
宮中に仕えた後に出家したらしいです。
仕事に疲れたのか、人間関係に悩んだのか、出家の理由は諸説あるようです。
出家後は、小さい家を転々としながら、質素に生活をし、暇を持て余したあげくにこの『徒然草』を執筆しました。
なので、『徒然草』は脱サラした中年おじさんのブログが、数百年も後世まで残り、今もバズっているというイメージです。
もうちょいちゃんとした説明もしておきましょう。
『徒然草』は、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並び、三大随筆に数え上げられている作品です。
内容は、人生訓や処世訓、当時の出来事を綴った日記などです。それも仏教の無常観に影響された話が多いです。
死を意識すること。時間を無駄にしないこと。世俗に惑わされすぎないこと。などなど。
700年たった今読み返しても、まったく色あせないメッセージが盛りだくさんです。
構成としては、「徒然なるままに日暮し~」で始まる有名な序文の後に、243段の文章が並びます。
しかし、一つ一つは短いし、それぞれ別個の話なので、読みやすいです。
しかも、文法もわかりやすいのです。
それが一番のおすすめポイントです。物語ではないので、主語がわからないよっていうことが少ないです。
非常に初心者向けの古文です。
今回は、そんな『徒然草』から個人的に好きな段を紹介します。
小川剛生訳『徒然草』(角川ソフィア文庫)を参考にしています。
この現代語訳が非常に読みやすいです。
当時の古めかしい雰囲気を残しながら、現代人も理解できる日本語にしてくれていておすすめです。
では、独断と偏見でおすすめの文章を紹介します。
横書きですが、ご容赦ください
①第一三段
ひとり、燈(ともしび)のもとに文(ふみ)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞこよなう慰むわざなる。
〈ただ一人、灯のもとで書物を広げ、遠い昔の時代の人を友とすることは、無上の心の慰めとなる。〉
息苦しい世の中です。
コロナウイルス、学校のいじめ、スマホ依存。
何かと心が荒ぶ毎日ではないでしょうか。
そんなときに古典を友にしてはどうでしょうか?
そんな助言を投げかけてくれています。
この後の文章では、当時の古典である白氏文集や老子、荘子をおすすめしていますが、今の我々にとってみれば『徒然草』自体が友にしたい古典です。
日々の心の慰めに遠い昔の人の何気ない言葉を感じてみてはいかかでしょうか。
②第四九段
誤りといふは他のことにあらず、速やかにすべきことを緩くし、緩くすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり。そのとき悔ゆとも、かひあらんや。
〈間違いというのはほかでもない。急いですべきことを後回しにし、後回しにしてよいことを急いでしてきた過去が後悔されるという。その時になって後悔しても、詮はなかろう。〉
何を優先して生きていますか。
後回しでいいことに囚われていませんか?
急いだほうがいいことを後回しにしていませんか?
心にグっと刺さる言葉ですね。
現代人の誰もに当てはまることだと思います。
社会の変化のスピードに流され、人生の優先事項を忘れがちです。
若い時にしかできないこと、若いうちにしておいた方がいいことは山ほどあります。
しかし、将来の不安や周囲の空気などに支配され、どうでもいいことに時間を費やしていないでしょうか。
兼好法師は僧侶らしく、死を意識して生きることを説きます。
明日死ぬと思って生きろ。
死はそれほど遠くにあるわけではなく、身に迫っていることを常に心に留めよ。
そう文章は続きます。
③第一一〇段
勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一目なりともおそく負くべき手につくすべし。
〈勝とうと思って打つのはよくない。負けるまいとして打つのがよい。どの手が早く負けるであろうかと思案して、その手を用いないで、一目でも遅く負けそうな手を使わなくてはならない。〉
双六という盤上遊戯の名人の言葉らしいです。(今の双六とは違うと思います)
同感できますか?
視点を変えるいい言葉だなと感じました。
勝つと思って打つとき、それは相手を見ていません。
自分よがりの手のように思います。
負けまいと思って手を打つとき、それは相手を見ています。
相手を見たうえで、負けない手を繰り出すのです。
受験も同じだと思います。
独りよがりに勉強をし、できるようになった気になっていないですか?
大事なのは、相手に勝つこと。
その相手とは、皆さんの志望校です。
志望校が繰り出してくる手(問題)に対して、それをかいくぐる手(解答)を打たないといけないのです。
受験に寄せて解釈し過ぎました。
皆さんも自由に解釈してみてください。
どうだったでしょうか?
あれっ、意外と面白いじゃん、なんて思ってもらえたのではないでしょうか。
本当はもっと紹介したいですが、今回は3つで抑えておきます。
もし、『徒然草』が気になったという方は、まずは下記の動画がおすすめです。
【三大随筆】徒然草|兼好法師 今すぐ心を整えたいあなたへ ~ 未来への不安、過去への後悔を消す最強古典 ~
もっと深く読みたい方は、ぜひ文庫版などの『徒然草』を読んでみてください。
そしてそして、これで古文の魅力に目覚めたよって方は、ぜひいろいろな文章を読んでみてください。
固まった視界を切り開いてくれるような言葉がそこには広がっています。
勉強とは、新しい世界に出会うことです。
それが心の慰めになり、精神安定剤になります。