大学共通テスト 英語民間試験と記述式導入断念へ

こんにちは。
高校生コース講師の小谷野です。

今回は時事ネタを特集します。
大学入学制度改革についてです。
6月22日、大学共通テストにおける英語民間試験の採用と、数学・国語の記述式の導入を断念する方向だと、文部科学省の有識者会議が発表したようです。
下記の記事を参考にしていますので、気になる方は見てみてください。
記述式・英語民間試験導入断念へ 共通テスト – 産経ニュース (sankei.com)
(4) 【共通テスト】英語4技能試験・記述式導入断念 – YouTube もりてつさんチャンネル

文科省は、知識の暗記や1点刻みの採点を重視する教育から探求型の教育に転換すべく、大学入試制度を変えようとしていました。
大学入試制度を変えることで高等教育のあり方を変えようとしたのだと思います。
理念は崇高ですが、背景にあるのはお金でしょう。
外部試験を導入できれば、英検などの試験実施団体は儲かります。
記述式が導入されれば、採点官が必要になるので、そこでもまたお金が動きます。

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大学入試制度の変遷

まずはざっくり経過を見てみましょう。

2013年政府の教育再生実行会議が、センター試験に変わる新テスト導入を提言
2014年中央教育審議会が2020年度実施の新テストから、英語の民間検定試験の導入と国語・数学での記述式の導入を答申。
2016年1月センター試験の理系科目で出題範囲や科目名が変更。
理科の基礎科目。数学では、整数問題や統計の問題の比重が増えた。
2017年文科省が新テスト「大学入学共通テスト」の実施方針を発表。
2018年高校生を対象に試行テストを実施。記述式で補正が必要な採点ミスが判明。
2019年9月全国高校校長会が民間検定試験導入に関して、公平性確保への対応が不十分などとして延期や制度見直しを文科省に要望。
2019年11月萩生田文科相が英語民間検定試験導入の見送りを発表。(次年度の試験に向けて申し込んでいた高2生は意味がなくなった)
2019年12月萩生田文科相が記述式導入の見送りを発表。
文科省が大学入試の在り方を検討する有識者会議を設置。
2021年1月第1回大学入学共通テストを実施。(英語Rで文法・発音アクセント問題を廃止、読解問題中心の試験に)
2021年6月有識者会議が提言案を示す。
2022年4月高校において新学習指導要領が導入される。
2025年1月新学習指導要領下で初めての大学入試になるため、共通テストにおける科目や出題範囲の変更が検討されている。
それに合わせ、英語の外部試験、数学・国語での記述式の導入が画策されていた。

ざっくり、上のような感じです。
2013年から、新テストの構想が始まっていたのですね。
私が受験したくらいの時でした。
ちょうど「ゆとり教育」への再考が求められていた時代です。
そのころから少しずつ変えようとして2020年から変えようとしたのに、うまくいきませんでした。

また、1990年から始まったセンター試験ですが、定期的に科目編成や出題範囲を変更しているようです。
私も詳しくは知りませんでした。
大きな変更は、2007年度入学、2016年度入学、2025年度入学の試験のタイミングでそれぞれ行われています。(なぜ9年毎なのでしょうか?義務教育が9年間だからでしょうか?)
基本的には、学習指導要領の変更に伴って科目編成や出題範囲を変えてきたようです。
内容例としては、
2007年度:「英語リスニング」の導入。「国語」を一つの科目に。
2016年度:「数学」と「理科」で出題範囲を変更。「理科」において「基礎科目」を新設。
2025年度(予定):「情報」を新設。「地歴・公民」の科目編成の変更。「数学」の出題範囲の変更。
上記のような流れの中で、2021年度入学の試験から共通テストに変えたのは、おそらく過渡期的な変化なのでしょう。
2016年と2025年の中間地点での変更だったのでしょう。
2025年に一気に変えるのではなく、段階的な変革を意図していたと思われます。

ざっくりな情報は以上の通りです。
以下では個人的に注目している論点を提示しておきます。

「英語」における変革

共通テストへの変更に際して最も大きな変化は英語でしょう。
英語において4技能を重視するという大義名分のもと、民間外部試験の導入(ライティングやスピーキング技能を測るため)が企図され、英語リーディングで発音アクセント、文法問題の廃止(純粋なリーディング技能を測るため)が実施されました。

つまり、外部試験の導入と英語リーディングの問題形式変更はセットであるべきものでした

しかし、英語リーディングは読解のみの問題構成になってしまったのに、外部入試の導入が見送られたため、結局ライティングやスピーキング力は測定できないことになりました。
文法問題はライティングの、発音アクセント問題はスピーキングの技能を紙の試験で測るために実施されていたものだと思います。
もちろん「そんなんで測れるのか」、という懐疑はあります。
ただ、現状では最善の出題形式だっと思います。
センター試験が30年積み上げてきた出題形式は素晴らしいものだったと思います。
それらを廃止してまで読解中心の問題構成にしておきながら、ライティングとスピーキングが測れなくなるのはどこか滑稽な様に思えます。
昔よりも測れる能力が結果的に減ってしまったので。
中途半端な変革で終わってしまいました。

今後、「英語」の試験をどのような形にしていくのか個人的に注目しています。
実際に使える英語力を鍛えるためには、スピーキングやライティングなどのアウトプットを意識した授業に変えていくべきですが、日本全国でそれを実施していくためには多くのハードルがあると思います。
現場の教員の数の問題。
英語嫌いの子供が増えているという問題。(昨年の長野県高校入試の英語でも、得意な人と不得意な人の二極化が進んだと指摘されています)
英語を学ぶ動機づけをどのように見つけていくかが鍵かなとは思います。
それが難しいのですが…。

社会の中の教育

教育の問題も、教育分野だけを眺めていては解決しないのでしょう。
知識詰込みから探求型への変革という理念自体は、ほとんどの方が賛同するものだと思います。
しかし、それを小手先の変革、つまり大学入試制度の変革のみで行っていこうと思ったのが誤りだったのだと思います。

「社会の中の」教育という視点が必要でしょう。

結局、我々は社会の中に暮らしています。
社会というのは、簡単に言うと「人々の集まり」だと思ってください。
多くの人が一緒に暮らしているということです。

その社会の中でそれぞれの部門が役割を担っています。
社会全体の構造を保つための機能を持っているということです。
(社会学的には構造機能主義とか呼ばれる考え方ですね)
例えば。
「貨幣」は資本主義経済において、すべてのものと等価交換できるための媒介物です。
「労働」は資本主義経済を支える分業体制を維持するためのものです。
「家族」は社会の中の最小単位として扶助しあう関係性を義務付けられ、戸籍で統治する上での単位でもある。
このような各分野の機能の上で、労働によって得た貨幣を家族で分け合い生活するという仕組みが成り立っています。

大学入試制度も、それが単独で成り立っているのではありません。
それは、大学名で序列をつける「学歴社会」という雰囲気、大企業における「新卒一括採用」という雇用上のシステム、この二つと不可分です。
要するに、大学入試は、国民を分類する一種の装置です。選抜するための装置です。
大学名という意味での「学歴」によって若者を分類し、4年後の新卒一括採用の場面で、その分類を企業側が利用して雇用を確保します。
学生のための制度では全くないのです。

その意味で、大学入試というのは、階層を移動する機会と言ってもいいでしょう。
東大に入るのか、名の知れない大学に入るのか、大学に行かないのか。
その結果によって、生きていく階層が決まっていきます。
もちろん大学入学後、もしくは卒業後でも逆転の機会はたくさんあります。
しかし、大学入試は、最初にして最大の逆転チャンスなのです。
ドラゴン桜の桜木先生も同じようなことを言ってると思います。

要するに、「社会の中の」大学入試という仕組みにおいて重要なのは、真の学力を測るという点ではないのです。
基準はなんでもいいのですが、若者をふるい分けるというという役割が重要なのです。
本当に英語を使いこなせる人を育てるための仕組みでもなければ、探求力の高い学生を育成する仕組みでもないのです。
ただ単に、ふるい分けたい。
それが根底にあるのだと思います。

そう考えると、大学入試制度の先にある、労働や雇用における雰囲気や制度の変革が伴わないと、結局は入試改革もうまくいかないと思います。

日本はどのような教育を目指すべきなのでしょうか?
もっと言えばみんながどのように働き生きていく仕組みにしていけばいいのでしょうか?
その答えから逆算した役割を教育が担わなければならないのです。

ぜひみんなで考えていきましょう。

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